不安の対症療法

悩み解決

普段何気なく過ごしていたとしても、ときどき急に気分が落ち込んでしまう時がある。例えば、一日中動画を見てしまった時や自分でもなんでこんなものを見たのだろうかと思うような作品など定期的に訪れている。読者ももしかしたら、一度くらいは気分の急落を経験したことがあると思う。そんなときにどのようにすればいいのか?

もちろん、答えは人によって異なるが原則のようなものはあると思う。それは、自分を責めないということと生物学的本能として起こりえることと把握しておくことである。

そもそも、過去の狩猟採集の時代では何よりも大切だったのは生き残ることであった。いくら歌がうまくても優しくても容姿が優れていても生き残れなければ意味がなかった。ポジティブな個体は幸せに生きれたのかもしれないが生存確率が高いのはネガティブな個体であった。草むらがかさかさする音を聞いて一目散に逃げるような個体はライオンに食われる可能性が低かった。飢え死にするリスクがあるが、食われることによる突然死に比べればネガティブであることに進化的な淘汰圧が大きくかかったと思う。その結果として現代にはライオンなどの天敵はいないし、交通事故や殺人に会う可能性は低いが人類は大きな不安を抱えてしまうことが多い。それが、他社との比較による不安やアイデンティティの崩壊、精神的な不調につながりやすい体になっていると思う。

もう一つは心理的なものだが、自分のことを責めないという姿勢も大切になると思う。なぜなら、不安に感じていることの多くは自分が劣っているからなどの個人的な理由ではなく、自分の周りにいる人たちや社会的な環境とそれに対する自分の感じ方がその感情を生み出しているからである。多くの出来事は、一個人によって発生することはほとんどなく周囲の人物や社会的な状態、つまり運に左右されることでたまたま起こることが多い。そのため、自分一人がある出来事について責任をおうことは過剰だし、なんなら物事を過大にみてしまう可能性もある。そして、ある出来事が起きたときの感じ方は人によって違う。雨が降ったときにAさんは部活が中止で悲しむかもしれないけど、Bさんは部活が中止で好きなことができるから喜んでいるのかもしれない。たいてい、感情の原因は特定の出来事や人物ではなくそれに対する自分の感じ方である。だからといって、自分を責めるのではなくて相手を無理やり変えようとしないことが大切だと思う。自分は特定の出来事や人にたいして憎しみや恨みを持つかもしれないけど、別の人からしたら、その人に好意を抱いているのかもしれない。だとすれば、自分の感情を爆発させるでも抑えるのでもなくて、自分の感じ方の問題だからい仕方ないと受容することができるようになると思う。なので、このときに自分を責めすぎると承認欲がからっぽになり渇望してしまうため、自分のことを責めすぎないようにと思う。

※もちろん、自分を責めないことは自分と甘やかすことではない。健康に悪いことをわかっていながら過食しすぎるのは自分に甘いだけ。だから、その時にはコントロールする必要があるし、自己受容とか自己の改善はバランスが大切。

口で言うだけならとてもたやすいことである。しかし、実際の場面でこの考え方ができるかというと難しいと思う。自分も特定の人物に対してイライラを感じることがあるし、自分のことを過剰に攻めたり甘やかすこともある。そういうことも経験しながら、少しずつ成長しているような気がする。もし、実践が難しかったらせめて「不安は人が生き残るための本能」ということだけでも覚えていってほしい。何事もまずは知ることで始まるから…

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