中国の哲学思想と日本への影響
現在の社会では「法の下の平等」や「基本的人権の尊重」など誰しも差別せずに等しく扱う「民主主義」というのがヨーロッパや北アメリカ、そして日本などでも採用している。さらにそれらは生得的なものによって差別してはいけないという「リベラル化」の流れも受け加速している。もちろん、民主主義にも多数決の決定には時間がかかり、人気取りの政策が増えるなど欠点はあるが今の時点ではそれなりに作用している。しかし、それでも専制政治の国は数多く存在する。専制政治の国が存在するということは、存在する理由があるのだと思う。今回はその考えの手助けになる朱子学、そしてその元となる儒教と、対立する道教について本記事では触れていく。
儒教:誰かを愛すことは世界を救うこと
儒教(Confucianism)とは
儒教は「孔子」の打ち立てた思想がもととなってそのあと孔子の弟子たちによって深められた学問のこと。孔子(Confucius)とは今から約2500前の中国の思想家・哲学者である。もともと、「儒」とは「巫祝(ふしゅく)」(アニミズムやシャーマニズムなどの原始宗教で神事を司る人)を意味しており祖先の霊の祭祀などを行う人々をさしていた。その「儒」の思想を体系化して現実の社会に適応する理論が儒教となる。特に「論語」は孔子の思想を弟子たちがまとめたものとして有名であると思う。
※儒教は中国の宗教であり、儒家は儒教に基づく思想家の集団であるとする
基本理念「仁」
基本理念である「仁」とは人を愛することや他者への思いやりを指すものである。そして、個人が「仁」を体現することによって社会に秩序が保たれるとして考えている。
仁を他人に伝えるための手段:「礼」
そもそも、前提として人は社会的動物であるとする(アリストテレス:ポリス的な動物)。そんな中で感情を形として表すための規則・慣行を「礼」という。「礼」の実践によって家族が秩序立てられ、さらに家族を超えて社会が安定するようになる。そのため、「礼」は社会規範となり、政治理論としても発展していった。
最高の人格:「聖人」
聖人とはこの世に生きている生身の人間の中でかつ完璧な存在であること。まさしく、体現したのが孔子自身である。
価値の源泉「天」
「天」とは人間の価値の源泉とされているもの。物理的な天空や神格(神としての資格)を表すのではない。「天」が「命」として人に付与したのが「性」である。「性」は持って生まれた人間の本性であり、「性」を与えた「天」は価値の源泉であるので「性」は善なるものとされている。
道教:自然のおもむくままに・・・
道教(Taoism)とは?
道教は中国で自然発生的に成立した多神教的な宗教である。老荘思想や民間信仰、陰陽五行説など様々な要素が混合している。また、道教は多神教であり様々な形態があるため、仏教(Buddhism)や日本の神道にも影響していると考えられている。一応、開祖は「老子」とされているが老子が開いたわけではない。道教には「仙人」になることを願う「神仙思想」というのがある。仙人とは俗界(世の中)を離れて暮らし、仙術により不老不死または不老長寿を得た人のことを指す。仙人思想によって中国独自の化学や医学の発達につながる。
「無為自然」
老荘思想の哲学は「道」と「無為自然」である。無為自然とは「道」のままにまかせて生きることに真理があるという考え方のこと。無為自然を尊ぶのが道家の思想としても発展した。道家とは「老荘思想」を奉じた学者を指す言葉である。
「道(Taoism)」
道とは万物の原理でありながら、空っぽの概念のことである。そこから、「有」が生み出される。道は抽象的な概念であり、老子も言葉で具体的に表すものでもないとしている。空っぽの概念として「色即是空、空即是色(あるものはない、ないものはある)」という考え方に似ていると私は思う。全てのことは自然にのっとっており、季節の流れのように人の行うことも自然にのっとったほうが良いと考える。また、老子はきらびやかな才知などの光はぼかして目立たないような俗世間のなかに同化するのが良い(近い意味:能ある鷹は爪を隠す)と考え、それが「和光同塵」という四字熟語につながる。
道をさらに深めた「荘子」
荘子の思想を著した「荘子(そうじ)」は老荘思想をうまくとらえている。荘子の思想として「逍遥遊(しょうようゆう)」というのがある。これは何かにとらわれない自由な境地に心を遊ばせることである(冒険がこれに近いような気がする)。彼は自分の本当に適したものをを求めるべきしている。自分の気持ちを自分で決めることによって他人に左右されにくい生きかたがしやすくなるのだと思う。また、荘子は聞こえにくい人たちの声も聴くべきとしており、マイノリティの意見に傾聴することの大切さも述べている。仕事においてもプライベートのコミュニケーションにおいても少数派に配慮することで円滑になることも多い。
朱子学:儒教をより深く、仁よりも礼儀
朱子学(Neo-confucianism)とは
朱子学とは12世紀に朱熹が成立した学問である。明の時代の国教にも選ばれており現代につながる中国史層の根幹になるとも考えられている。朝鮮では国家統治にも使われ、日本では鎌倉に輸入して江戸時代に幕府に公認された学問として多くの武士が学んだ。明治では封建社会が崩壊したが、武士道として「赤穂浪士」や「新選組」として歴史に名を刻んでいるような出来事を起こした思想の根本に当たるのが朱子学になる。
儒教を整理した
当時、バラバラだった儒学の四書をまとめた。儒教の規範を「四書五経」としてまとめている。それぞれ「論語」、「大学」、「中庸」、「孟子」。特に大学に書かれている「己を修め、人を治む」は自己の修養と同時に他者へ貢献することの大切さを述べており、朱子学の理念をうまく表している。朱熹はただ単にまとめただけでなく、彼が仏教(特に禅)にもあかるかったので、儒教の教えだけでなくて彼自身の解釈も入っているのも特徴的である。
朱子学の特徴
朱子学の特徴は以下の二点である
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「大学」と「中庸」に注目したこと
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「仁」よりも「礼」を優先したこと
それまであまり注目されていなかった「大学」や「中庸」を取り入れた。また、儒教では人を愛することである「仁」が優先されたが朱子学では「仁」よりも「礼」が優先されている。
朱子学の理論
理気二元論
理気二元論とはこの世界は「理」と「気」によって成り立つという考え方である。「理」とは万物がこの世に存在する根拠である。具体的には宇宙が存在するための法則や秩序」のこと。また、「気」は万物を構成する物質である。具体的に言えば、この世を成り立たせる物理法則から、物質の性質などの化学が生まれるようなものだと自分は考える。そのため、幻という概念はないとされている。この二つは「不離不雑」という関係であり、つかず離れずでありながら互いに影響しあう関係である。 (「理」→「気」)
「気」つねに運動しており、大きいときは「陽」、小さいときは「陰」として分けることができる。そしてこの陰陽をまとめたものが五行(火・土・木・金・水)となって万物が生み出されると考えた。この考えは西洋の「火・空気・土・水」から物質は成り立つという四元素説と似ている。
性即理説
朱熹は理気二元論から、性即理説を導き出した。「性」とは人間や物を成り立たせている本質である静かな状態のことである。
「性」=「理」とした。人間や物を成り立たせている本質は万物がこの世に存在する根拠と等しいことにした。
また、「性」がうごくことによって「情」となり、さらに激しくなると「欲」になる。この流れより、「情」=「気」となり静かな状態から逸脱したものがこの世を構成している物質と考えた。そのため、バランスを崩した「欲」は悪いものであり、「情(気)」をコントロールして「性」に戻す努力をすることが必要になる。
「性(理)」→「情(気)」→「欲」 だから「欲」→「情」→「性」にする
朱子学の課題
支配者にとっては便利
朱子学では上下関係は絶対と教えられる。そのため、統治する側にとってはとても都合のいい理論である。そのため、不当な命令や個人だけの利益のための指令も受け入れやすく汚職などの政治的な腐敗につながる。国民の不利益にもつながりやすい。
他の学問の排斥
現代の中国からは想像もできなきかもしれないが古代中国にはいろんな考えがあった。道家はもちろん、兵家や墨家など多種多様の学問があった。しかし、朱子学ではそれらの学問を排斥して朱子学以外の勉強ができなくなったりもした。それが現代の中国につながる思想統制の時代に変革した。
まとめ
今回は中華思想のなかでも儒教、道教、朱子学について触れてきた。
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