先入観は交友関係を狭めるきっかけになると思う。思春期だからよく悩む時期だよねとか怒りやすいとか反抗期とか、一緒くたにされるのは好きではない。その時期にいる人は一生懸命に生きているわけだし、自分の過去や経験をないがしろにして一つの傾向として評価されるのは望んでないと思う。たしかに、自分も物事を考えるときは基本的に法則を考えたり、抽象化したりすることが多い。でも、自分のことになると細かいディティールっまで気になりだしてしまう。人は身近なものから影響を受けることが多い。自分も読んだ漫画から影響を受けて人の苦しみを単純化しすぎるなと思ったり、逆に心理学の新書を読んだときは心のメカニズムに関して理解できたような気がする。矛盾しているのはわかっているけど、それでも人は矛盾した状態でしか生きていけないと思う。
自分は日ごろから日記のような感じでメモしていることが多いが中身を見てみると日によって言っていることが全く違ったり、内容が180°回転していたりもする。まるで別人が書いたかのように。途中から全く別のことを考えていることもある。誰かのことがいいなと思っても次の日には冷めていたり意欲がなくなるなど百年どころか三日で恋が冷めるようなこともある。そもそも心から人を好きになったことがないひともいると思うけど。思っているよりも、自分というものは不完全でよくわからないものだと思う。なぜなら、自分のことになると主観的にみてしまうことに対して友達の相談や意見に関しては冷静に客観的にみることができたりするからだ。「自分のことは自分が一番見ている」というのはたしかに嘘をついたときに他人はわからなくても自分は見ていることを伝えたいのはわかるが、自分のことを一番理解しているのは自分でないと思う。そもそも、自分のことを完全に理解することは無理だと思うし、一言で表すようなこともできないと思う。複雑なアイデンティティが形成されやすい現代社会で一言で表すどころか言語化することがそもそも至難の業だと思う。
先入観を完全になくせとは思わない。でも、先入観が誰かを傷つけることはあるし、自分が加害者になったことも被害者になったことも両方あると思う。人はどうしても自分事になってしまうと具体的に物事を考えようとするが他のことに関しては人は過剰に抽象化してしまう。アメリカ人に「アジア人は静かだよね」と言われたときに「日本人でも明るい人はいるよ」と思うこともあるが、「イタリア人は女好きが多そう」と日本人が勝手な偏見を持つことがある。私たちはどうあがいても自分を中心に物事を考えてしまう癖があるから。
老人はよく「最近の若者はたるんでいる」という。これは同じようなことがメゾポタミアの石板にも刻まれている。過度の抽象化による先入観とその反発は古来から起きている人々の対立なのかもしれない…
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