意識のあいまいさ
人は意外にあいまいな状態で生きていることが多い。例えば、いやだなと思った相手に関して何が嫌なのかを考えなかったり、サッカーやバスケなど自分の好きなことに対してもなぜ好きなのかについて深堀することは少ないと思う。また完全に言語化することはもちろんできない。家族を守る理由を愛しているからといった時に愛を数値化して客観的に示すことはできないから。
このように、人は感情や思いなどあいまいな状態でありながら日々生活を送っている。もちろん、これが悪いというわけではないし、普通に過ごすことができると思う。しかし、一つ出来たら便利かもと思う能力として「言語化」の能力についてである。たしかに、得意や不得意はあるし好き嫌いもあると思うが、言語化しようと意識するだけでも変わると思う。では、言語化にはどのようなメリットがあるのか?
わかりやすく説明する力
説明するときに、指示語だけでな具体的な言葉を用いることでかみ砕いて説明できるようになり、さらに発展すると中学生でもわかるような簡単な説明もできるようになる。
自分の実体験として中学生から友達に勉強でわからないところを質問されたときによく答えるように意識していた。実際、教えている人のほうが教えられている人よりも勉強になると思っていたから。そのとき、相手の学力に関わらず教えるようにしていた。相手が賢くても、また理解力が低かったとしても自分のできる範囲で頑張るようにしていた。
その結果、高校生になったときに教えるの上手だねといわれてとてもうれしかったのが記憶にも残っているし、自分よりも成績のいい人にも教えるのがうまいと褒められたりもした。
その結果として、「物事を説明する力」については自信を持てるようになった。そして、できるだけわかりやすく説明しようとする心構えも持つことができるようになった。
このように、説明するときに自分の頭の中にある考えを言葉にして相手に伝えることで相手に説目することができるようにもなる。
相手の感情を言語化できる
会話において特に重要になるのは中身ではなくて感情である(特に女性脳において)。そこで、相手のエピソードや悩みを聞いたときにそのエピソードをただ聞くだけでなく相手の隠れている感情に気づいて、その感情に触れることで距離感が縮まりやすい。そこで、相手の隠れた感情を表すためにも言語化の能力が必要になる。
例えば、彼氏に振られて悲しんでいる女性がいたときに、相手は振られたことを悲しんでいるのでいるのではなくて振られるから自分には魅力がないのかなと思っていたり、過去の彼氏に対するミスを反省しているのかもしれない。そんなときに、「気にしなくても大丈夫」という発言はあっているのか?「君に感謝することはたくさんあるよ」や「自分も全く一緒ではないけど同じようなミスをしていたから苦い気持ちなのわかるわ」のように、相手の感情に共感したり、相手の存在を認めてあげるほうが効果的かもしれない。
もちろん、それらが間違いのときもあるし、極論正解は無い。しかし、女子や男子のどちらにおいても相手の行動からどのように感じているのかの心情を読み取るためには、相手の行動から心情を真偽に関わらず推測して言語化して、相手に伝える必要はある。もちろん、言葉ではなくていいが理解するためには言葉のほうが都合がよかったりもするので、言語化の能力がこのときに必要になる。
コミュニケーションにおいても、相手の気持ちを言葉にするために言語化の能力は必要になる。
まとめ
意識のあいまいさと言語化の必要性について述べた
人は自分の感情や好みは完全に言葉にすることはなくて、あいまいにしていることが多い(これが悪いわけではない)
わかりやすく説明するときに、自分の考え方や手順(プロセス)を説明するために言語化の能力は必要
相手の感情に共感して言葉で伝えるときには、相手の行動や発言から心情を推測して感情や思いを言語にして相手に伝えるのに、言語化が必用 ※言葉以外にも、行動や表情など
現代社会は、レポートや面接シートなど言語化できる人にとって有利な社会なので苦にならず自分の楽しめる範囲で言語化の練習をするのはいいと思う。
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