悩みという現代病

悩み解決

過去に比べて現代は、はるかに豊かな社会になっている。「FACTFULNESS」でも述べられていた通り、平均寿命に関しては伸び続けているし、衛生環境も昔に比べてはるかにいい。交通では多くの人がバスや電車を用いて、食事に関してはヨーロッパからエスニックまで様々な料理を食べることができる。そして、情報技術の発達によって世界中のひとと理論上は繋がれるようになると考えられている。そんな社会であるにも関われず、日本だけでなく世界中の人が悩みを抱えて暮らしている。もちろん、最低限度の生活(ナショナルミニマム)が保証されていない人ならわかるが、普通の人、ましてや富裕層ですら悩み、苦悩することがある。現に私も、近頃にある試験に対して悩むことが多いが、世界中の人たちも問題の大小はあるかもしれないが多くの悩みを抱えながら日々を過ごしていることが多いと思う。

なぜ、人々はこんなに悩むようになったのか?それに関しては二つの視点があると思う。一つはここ最近で起きた大きな変化である情報革命。もうひとつはそもそも悩みは昔の人も持っていたということ。

まず一つ目の情報革命についてだが昔は、わからないことについて調べるときは本や辞書、または専門家に話を聞いたりなど時間のかかるものが多かった。そのため、情報はあふれ出ていることはなかった。しかし、情報革命がもたらしたものはまさしく、情報の洪水である。誰もが手軽に発信できるツールが発展したことによってその学問の専門家から一般人まで多くの人の意見を閲覧できるようになった。しかし、同時に多くの間違った情報や誤解されるような情報も広がるようになってしまった。そのため、自分が何か悩んでいるときに、調べてみたとしても解決法は複数出てきてしまうし、プロフェッショナルから普通の人の意見まで玉石混合である。効果的な方法を取ろうとしても、逆に多くの解決法によって混乱をもたらす可能性がある。

二つ目のそもそも人は狩猟採集の時代から悩みは尽きなっかったと考える。なぜなら、狩猟採集生活は現代よりも作業時間は短いが、運が悪いときは何も収穫できずに帰る可能性もあるから。そのため、古来の人々も不安は尽きなかったと思う。それでは、なぜ現代人の多くは悩んでいるようにかんじるのか?それは他の人が悩んでいることを手軽に知ることができるようになったからだと思う。昔は悩み相談を聞く相手は身内や友達などの身近な人だった。見知らぬ人から悩みを受けるのは医者やカウンセラーぐらいだと思う。しかし、一つ目で話したように情報革命によって他人の悩みも聴く機会が増えたことで人々は悩んでいる人多くなったように感じるのではないかなと思う。総数は増えていなかったとしても一人の人がたくさんのメディアで発信することで形式上は増えたように感じてしまうから。

この世界は情報革命によって効率的に情報を手に入れられるようになった。しかし、そのせいで多くの情報に惑わされて悩みが解決しなかったり、もしくは難解になってしまうのだと私は思う。そもそも読者の人の多くは人間関係において悩んでいる人が多いと思うがそれをネットの情報で解決しようとする人が少ないのかもしれないと思う。玉石混合のインターネットの情報よりも周りの意見や自分の思いを優先する人もいると思う。どちらにせよ、インターネットが悩みを根本的に解決してくれる可能性はあまり高くないと思う。

じゃあ、私たちはどのようにすればいいかだが、私がやっていることとしては「とりあえず書き出す」ということである。なぜなら、人は頭の中で物事を考えるときは優先順位や解決の難易度を無視して思考してしまうから。紙に書き出してみるとその問題は今日中に解決しなければいけないのかや、絶対的な答えがないものについて考えてしまっていることもわかるから。もちろん、そういうことを考えるなと言いたいわけではない。あくまで優先順位を決めて悩みを処理するための方法である。解決できるかどうかはその時々によって変化するから

もちろん、ただ書き出すだけで悩みが楽になるなんてと疑う気持ちもわかる。私も当初は疑っていた。しかし、半年実際の紙に書き続けたあたりから悩みについて楽になってきたと思う。悩みがなくなることはないが処理はしやすくなったと思う。私はそもそも書くことが好きだからこの方法を続けられたけど、書くのが嫌いな人は向いていないかもしれない。それでも、箇条書きでもいいから少し書き出してみてほしい。効力は実践してから気づくことも多いから。

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