人は過去の話や経験談は大好きである。とくに自分のことについては。友人の話や家族の話を聞いていて思うのが、その人自身の過去の話や経験談について聞くことが多いなと思う。成功者も過去の話や自分の成功の要因を過去から分析している。このときに思うのが多くの場合過去の出来事を美化しすぎているように感じる。大人が言う「学生の時はよかった」や「昭和の時はよかった」などは過去の栄光に取りつかれているようにも感じる。それと同時に未来に関しては不安に思っている人が多いと思う。もちろん、計画などについては楽観的な見方をする人が多いが「何が起こるかわからないから貯金」など人の不安は行動の原動力にもなる。
このことから、人は過去のことに関しては美化して未来のことには不安に思う傾向がある。もちろん、過去にトラウマを抱えている人もいるとは思うし未来に希望を抱いている人もいると思う。しかし、多くの人は過去の出来事に執着したり、未来を絶望している人も多いと思う。
ヒトの脳は狩猟採集時代の時に形成されている。そのため、生き残るためには過去の経験からリスクを回避して未来に関しては常に注意を払う必要があった。具体的には茂みにライオンがいたという経験から草むらが揺れているように感じたらいち早く逃げる個体が生き残り、逃げない個体は捕食されて死んでいった。今いる人類は過去を経験を利用して未来のおそれによって生存できた人の子孫である。
極端な話、過去にすがって執着して、未来の不安におびえて生きていく人が多いということ。たしかに自分も過去の出来事か自分は不遇な立場であると思いたいときはあるし、逆に自分は運が良かったと思いたいときもある。その時々の感情は、一定の時間がたつと元に戻ってしまう(恒常性:ホメオスタシス)。幸せな時は悲劇やエレジーを求めることもある。人の記憶は絶対的なものではなく、まるでウィキペディアのように更新されていくものだから。
そして、過去の話に限らず人は物語について語ることが多い。しかし、その物語は現実には存在すせず、みんなの頭の中にあるだけだ。仕事の苦悩や恋愛の葛藤のストーリーは現実には会話のやり取りであり、その人が語る多くの要素は虚構であることが多い。私たちは多くの価値観から影響されやすい。そのため、話す人も少なからず影響を受ける。イデオロギーや宗教という虚構を信じていることも多い。
そして、物語が小説や漫画、アニメになると学校や恋愛での苦しみや葛藤が美化される。作品は現実の自分の負の感情を浄化するため(カタルシス)にあるのだと思う。
過去の出来事は未来を映し出すかもしれないが、未来は過去の延長線上ではないし、過去も自分の記憶が必ずしも正しいとは限らない。未来は常に予測できないのだから。
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