現代はかつてないほで「個人」に注目する社会だ。そのため個性や多様性などが公に認められている。それらのアイデンティティにかかわるものとして「推し」という概念がる。今の時代はアイデンティティは何かに溶けていることが多いが押しもその一つである。そして男女問わず推しの対象に異性が入ることは少なくはないし、むしろ多いと思う。アイドルやアニメのキャラクターなど男女ともに人気のものが押しに選ばれやすくもあるからだ。
しかし、推し対する好意はどのようなものだろうか。「好き」という感情については性欲がセットになっていることが多い(特に男性は)。しかし、女子だけでなく男性においても推しが性愛の対象にならないこともある。かく言う自分も推しに関して性欲がわくわけではないが。その感情は「一つの神聖なもの」として対象を認識していることも多く、その対象には恋人などのリアルな人間関係も含まれることがある。
もしかしたら、恋愛や異性に対して「意識する気持ち」や好意は性欲がすべてではなくて、一つの複合感情(コンプレックス)なのかも。好きというのは性欲や承認など様々な感情が混ざったもの。
今の時代はインターネットの発達によってコミュニケーションの方法も変化している。マッチングアプリはその内のひとつである。ここで着目したいのはマッチングアプリの需要に関してである。男女ともにマッチングアプリに求めているのは「推し」を見つけることではなくて肉体関係だけを蒸すに対人もいると思う。つまり、「好き」ではないが「性愛の対象」ということは普通に起きるのだと思う。(特に男性)
性愛の対象になる人に対して「好き」になることは必ずしも必要なわけではないのだと思う。そもそも「好き」になってから関係を結ぶというのが常識というわけではない。
日本以外の国、欧米においては体の相性を確かめてから付き合うほうがスタンダードな国もある。性愛の対象がいてコミュニケーションをとって体の関係を結んでそのあとうまくいけば付き合う。一緒に寝てから付き合うかどうかを確かめる。つまり、体の相性に関して先にチェックしている。
しかし、日本においては恋人の関係になってから体の関係になることが多いと思う。好きな相手と一緒に寝るのが多いような気がする。なぜ、日本は寝ることよりも先に恋人の関係になろうとするのか?
様々な複合的な要因があると思うが個人的な見解としては二つある
一つ目は西洋の影響である。たしかに、今の西洋では日本よりもセクシャリティに関して開放的だと思うが昔からそうであったわけではない。特に日本は恋愛の価値観について大きな影響を受けている。岡田斗司夫さんが述べていた意見として、江戸時代の日本においては一目ぼれが理想の恋であった。パット見て可愛いと自分が思う相手を選ぶ。一目ぼれから恋人の関係になっていた。しかし、明治に入り西洋、特にフランスの恋愛観に大きく影響された。フランスの恋愛観は相手の容姿だけでなく中身や性格も吟味して自分が思う理想にできるだけ近い人を選ぶこと。まるで江戸時代の時とは反対ともいえる考え方だ。(岡田さんは恋愛はクリエイティブな活動だからみんなができるわけではないとも述べている)
二つ目は日本の文化的な特徴についてだ。日本は一般的にハイコンテクストな社会と言われ、逆にドイツはローコンテクストな社会と言われる。コンテクストとは文脈のことであり、ハイコンテクストな社会は言葉以外のリアクションや雰囲気などからもコミュニケーションを取ろうとするのに対して、ローコンテクストな社会では自分の思いや考えは言葉で率直に伝えようとする。日本は「空気を読む」や「間をあける」など言葉以外のしるし(シグナル)にも目を向ける必要がある。
これは恋愛においても同じことが当てはまると思う。キャラクターとして言葉では「嫌い」と言いながらも実際には相手のことが好きな場合もある。俗にいう「ツンデレ」と言われるものである。「好き」ということを口に出していなくても性愛の対象として見ていることがバレるのが恥ずかしくて言えなくてもお互いの関係性や自分の態度から相手に「察してほしい」と思う。
特にライトノベルや漫画、アニメなどのサブカルチャーにおいて描かれるのは現実の恋愛ではなくて二次元における清くて文脈が多く複雑な恋愛であることも多い。単調的で葛藤のない幸せなストーリーを読者は読んでくれない。(そもそも恋愛が虚構だが)
※もちろん、多くの作品があるので例外はある
海外の人も性愛の相手に直接「一緒に寝たい」ということは言わないと思う。イケメンがイケメン好きを避けたり、富裕層がお金に注目してくる人を避けるように体目的で自分に近づいてくる人に体を貸すことは少ないと思う。
それでも海外では体の関係に持っていけることが多いのは文化や価値観の違いも大きいと思う。(文化や価値観の違いを多用するのもよくないが)日本よりも性や性愛に関してオープンだと思う。
性愛の関係にもっていけない人は生物学的な要因だけではないと思う。もちろん、遺伝が与える影響は大きいが海外では好きになる前から一緒に寝ているし、性愛の関係になるのに「恋愛」は絶対に必要というわけではない。むしろ、寝てから相手のことを好きになることも多いのかも。性愛の対象にある人と寝ることで相手を好きになることもあると思う。
しかし、容姿や性格に関しては遺伝で決まるところが大きく、整形などをするために資産がなく遺伝的に不利な人々は、自由恋愛の下でメリトクラシーのあおりを受けるだろう。
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