”知識”を持っている人たち

悩み解決

この世にはとても心地よいこと言ってくれることがある。「努力すればできる」や「大事なのはやる気である」など。この意見は見違っているわけではない。もし、遺伝だけでこの世界が決まるのならきっとフォン・ノイマンやアインシュタインなどの科学者の子孫がこの世界を牛耳っていることになるから。しかし、この論理はある二つの視点が抜けている。それは、能力は環境(特に友達などの家族以外との関係:非共有環境)の影響よりも遺伝の影響のほうが大きく、みんなが抽象的なものを理解できるわけではないこと。そして、勉強することに投資する時間がない人のことを考慮できていない点にある。

まずは行動遺伝学の観点から。行動遺伝学とは個人間における行動の違いを遺伝的に見ようとする学問だ。そして三つの原則がある。

  1. ヒトの行動特性はすべて遺伝的である。
  2. 同じ家族で育てられた影響(共有環境)は遺伝子の影響より小さい。
  3. 複雑なヒトの行動特性のばらつきのかなりの部分が遺伝子や家族では説明できない。(非共有環境の影響)

ヒトの行動はすべて遺伝の影響を受けており、家族からの影響よりも友達などの非共有環境の影響が大きい。これは強烈な意見で様々な考え方に影響を与えることになるが今回は努力と能力(知力など)に焦点を当てる。ある実験で双子を別の家庭に送り、一方は裕福な家庭でもう一方は貧困層の家庭に。そして二人ともにクラシック楽器を練習させた。クラシック楽器は練習しても結果が反映されずらく、100練習して1上達することもある。結果は、どちらま上達度には差はなかった。ここからわかることは、環境よりも遺伝の影響のほうが大きいことがある。遺伝がすべてを決めるわけではないが、遺伝はヒトに大きな影響を与える。努力できるかどうかも遺伝が要因になることがある。

このように双生児を研究対象にすることで遺伝の影響を推し量ることができる。そして、そのデータからやる気は57%遺伝で残りは非共有環境で計算や認知能力も50%を超えている。以下のことから、遺伝による影響は無視できないと思われる。知能も遺伝によって左右されることがあるのなら、理解できない人に対して努力不足だと責めることはできなくなる。もちろん全員ではないが、先天的に努力すること自体が難しい人たちがいる。そんな人たちであっても誰にでもわかる理論がある。それは、善悪二元論である。脳は有限の容量しかもっていないので人は生きるためのエネルギーを節約するために簡単な論理を求める。善悪二元論はその典型例である。このように理解できるものとできないもので格差が生まれる。現代が「知識社会」であるゆえんだ。

※この理論はあくまでも遺伝決定論ではなくて遺伝における影響が大きいことを述べている。

もう一つの論理としてそもそも学習に使える時間がない人たち居る。もちろん、まだ発展している最中の国で子どもが働いている状況ならわかりやすいと思う。しかし、相対的貧困(その国の所得の中央値よりも低い家庭)にある子どもやヤングケアラー、ネグレクトの子どもにも同じことがいえる。学習に使うための時間がなく、生活するために時間を割かないといけない人たちがいる中で、ある程度余裕があって政治や経済について勉強することができる人たちが上げ足を取ったり、見下すのことはたして公正なのか。もちろん、有能な人たちが悪いというわけではなくて、あくまでみんながこのような問題について自覚できていないことを言いたかったことである。

この世界はみんなが理解できないくらいに複雑に構成されている。それを”わかった”と思い込んだエリートや個人が自分の考えを広める。それが他者を攻撃するようなものであれば衝突が起こる。善悪二元論の対立は人々に理解されやすいためさらに被害が広まる。人類が生きている限り、「正義」のぶつかり合いは消えないのだろう・・・

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