ミーム学

心理学

ミームという概念

ミームというものはネットの発達によってよく耳にする言葉になったと思う。またSCPにおいて聞いたことがあるかもしれない。最近では「猫ミーム」として動画に使われていることが多いと思う。しかし、いざミームが何かと説明できるかと言えば難しいと思うし、多くの人はできないと思う。そこで今回はミームの正体とミームを研究する学問であるミーム学について述べたいと思う。

 

ミーム学の前提

ミーム学はそもそも科学的実体のない疑似科学であることが前提である。まず「ミーム」というものが何なのか具体的な答えが見つかっていない。「ミームとは何か」という問いは究極的に情報とは何かや伝達とは何かや意味とは何かという問題になる。しかしこれらは心理学や宗教学、行動学や社会生物学ですでに研究されたり議論されているのでミーム学である必要はない。また、ミーム学には「反証可能性」がない。

反証可能性とはその理論が反駁(反論)可能か理論的に反論し検証可能かということである。ミーム学でこれをもっていないため科学の必要条件をみたしていない。科学的な文脈でミーム学を語ることはできないが多くの人々に「ミーム」という言葉は浸透しているし、他学問に興味を持つ入り口としてミーム学は有用なものだと思う。

 

ミーム学とは

ミーム学は「利己的な遺伝子」の著書で知られるリチャード・ドーキンスが提唱した文化的な情報の伝播と進化を研究する学問である。ミームとは文化的な遺伝子のことであり、言い換えると人々の行動や信念の形成に影響を与える要素のことである。ミームは言葉や画像、行動パターンなどの形として人々の間で伝わって広まっていく。例えば流行語やトレンド、特定の言葉やフレーズなど一時的なブームを巻き起こすこともある。ミームはインターネットの普及によってさらに拡大して情報の伝播と拡散が迅速かつ広範囲になった。「ネットミーム」という言葉があるくらいだ。

 

社会心理学とミーム学の関連性

社会心理学とミーム学は関連性がある。例えば人々の行動や信念が特定のミームによって意識や行動が変化したり、ミームが伝播には社会的な要素も関連していて人々の関係性やグループダイナミクス(集団内の人々の相互作用と影響に関する考え方)に変化をもたらすことがある。

ミームの伝播や影響に対する研究によって人々の行動や信念の形成に関する洞察を得ることができてミームの力を活用することで情報の伝達やコミュニケーションの効果を高めることができる。

 

社会心理学とミーム学の対比

社会心理学はミラーリング効果(相手の声などのしぐさをまねることで親近感をもってもらうこと)や周りの意見に合わせないといけないような圧があるように感じる社会的同調や社会的証明(みんなが評価するものは正しく感じる)のように人々の行動や思考、感情の研究によって社会的な影響や集団のダイナミクス(力学)を理解するために理論や手法のこと。
ミーム学は情報やアイデアが社会的な環境で広まるメカニズムを研究してインターネット上の拡散や文化の変化について調べる学問である。
具体的には社会的規範や集団の圧力によってミームの拡散にどのような影響があるのかやなぜ特定のミームが広がるのかを社会心理学を用いると理解できることがある。また、情報の拡散における社会的なネットワークの役割や情報共有のプロセスが社会心理学の理論によって分析することができるようになる。
他にもあるミームが広がることによって特定の行動や価値観が一般的になることがある。このようにミーム学を用いて社会心理学を見るとより深く理解することができるようになり、社会学の理論を用いてミーム学を見るとミームの伝播や影響についいて具体的に分析できるようになる。

ミームの種類

ミームには複数の種類がある。ミーム行き来する情報のことを指すので、他社に伝達可能なものでまだ認識されていないものは「潜在的なミーム」、すでに知られていたり誰かに理解されているものは「既知のミーム」、他社に伝達可能なら嘘でもいいのでそれらを「虚偽のミーム」という風に言う。

※対立するものとして感覚質(クオリア)があげられる。”赤い”や”痛い”、”おいしい”などは表現することはできるが実際に感覚を説明することはできない。水の味を言葉を使って正確に表現できないのと同じである。そのものは伝えられないが、”赤い”などの経験は他社に伝えたりできるしそれに共感することはできる。

 

虚偽のミーム

クオリアは他者に伝えることはできないが、決してこの世界に存在しないものが他者に伝えられないわけではない。事実に基づかないものでも伝えることはできる。具体的には神や都市伝説、陰謀論などである。クオリアとこれらのミームの違いは習慣や慣習、教養として人々に共有されるかである。

キリスト教ではカトリックにおいて洗礼やミサという習慣・慣習があり、イスラム教においてもモスク(礼拝堂)に1日5回、礼することや断食(ラマダン)が習慣・慣習になっている。そして、キリスト教は旧約聖書と福音書、イスラム教にはコーランなどに教養が記されている。日本においても初詣でやお餅、お年玉など宗教由来のミームがある。

また、法律は能動的に自ら取り入れるべきミームであり、知らなかったでは済まされず、自分に損失が被ることがある。このようにミーム自体も千差万別である。

 

まとめ

ミーム学は疑似科学の分野だが深く探求してみると社会心理学との関わりやミームの種類が多く存在することなど様々なことがわかってくる。ポストモダニズムの人は文化の基本構成要素をミームではなく対話について語る。物事の考え方は支店によって大きく変化する。皆さんも詰まったときは一度視点を変えてみてほしい。そうすれば解決口が見つかるのかも。

ポスト構造主義とポストモダニズム
構造主義はこの世界は目に見えない「構造」によって支配されていると考えた。しかし、本当に正しいのだろうか?科学主義や民主主義などの近代的な仕組みによってこの世界は動いているが、果たして良いのだろうか?

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