気分の浮き沈み
自分の関わる人の中には、機嫌にむらがあってポジティブなときはひたすらに前向きだし、気分が高揚しているような気がする。反対にナイーブな時はひたすらにネガティブで悲観的だと思う。発言にしてもポジティブな時はあたかも何でもできるような態度をとるのに対してネガティブな時は「俺なんて・・・」と自己否定の罠に陥ることが多い人もいる。
このように、テンションがジェットコースターのような人も少なくはないと思う。今回はこのような思考回路に至るメカニズムに関して考えたいと思う。
躁鬱に近い心理的状況:鬱の時
ここで大きいと思うのが、比較的この周期が規則的なのかもと思う。だいたい躁状態の後に鬱が来たり、そのあとに躁が来たりなどその期間は大きな差がないのかもと思う。そう思うと、この性格や体調の変化は周期的なものかもしれない。そこから導き出されることは、「その周期を予測できるかもしれない」ということである。
本人はいつ自分がハイテンションになって、いつローテンションに戻るのかが自分ではわからなかったが、規則的ならおおよその日につを予測できるようになるからである。
*今回はわかりやすく、躁とうつを使っているが決して双極性障害の人に向けて話しているわけではなくて一般の人にも似たような傾向に陥ることがあると思うので、特定の対象に向けて述べているわけではない
では、規則的に変わるとしてそれぞれの期間ではどのようなふるまい方をするのか。「鬱」のときは多くのもの後に対して悲観的になり「自分なんて」と落ち込んでしまうことがある。この反応は決して甘えではなくて、原始の時代に脳が感染症にかかったときに感染をひろげないため閉じこもるための仕組みとして使われていたのが今も残っているという仮説もある。すくなくとも、鬱は自分の構造的な欠陥ではないと言える。
言うは易く行うは難しだが、対処法として自分を責めすぎないことが大切になる。気分が落ちているときこそ冷静になろうとすること(冷静でなくてもいい。)ひ
躁の時
躁の時はポジティブで何もかもに前向きになるチャレンジ精神が豊富になると肯定的な意見を持つかもしれない。しかし、現実としてあるのは躁は「リスクに鈍感な状態」というのがある程度正確に表している言葉だと思う。
具体的に言うと、「やればなんとかなる」とか「とりあえずチャレンジ」のように明るく活発に見えるのはその行動に伴うリスクに対して盲目になっているからである。もちろん、チャレンジしないことには成功はつかめないし、これくらいなら逆にポジティブな影響のほうが大きいと思う。
しかし、活発で外向的というのは同時に攻撃的でもある。例えば、ポジティブなので自分の意見に対して自信を持っていると他社の意見に耳を傾けることができなくなって、即座に否定してしまう。「自分はこの企画をやったほうがいいし、この企画をやらない奴は馬鹿だ」と強くいってしまう可能性もある。
まとめ
このように、人はポジティブな時とネガティブな時で大きく分かれる
ネガティブな時(鬱):悲観的で何事に対しても否定してしまいやすい
ポジティブな時(躁):楽観的で何事に対しても肯定してしまいやすい
大切なのは、この変化が規則的であることである。気分の浮き沈みは(女性は整理があるから別だが)比較的規則的に変化するものでもある。そのため、ネガティブな時こそ、自分を責めないでほしい。
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