考えの信ぴょう性
女子とうまく話そうと思った時にかえって一人でいる人と話すほうが効果的なのかもしれない。意図せず一人になったことのときは自分は救ったことになるし、多くの人は「友達になりたい人」は友達が多い人よりも少ない人のほうが好んでいるから(しかし、みんなが「友達になりたい人」は友達が多い人と思っている)。人は一番好きな言葉が自分の名前であり、覚えてくれている人には好感を持つ生き物だから。
しかし、自分が思っていることが必ずしも正しいとは限らないし、特定の場合においては成り立つけど、他の状況では成り立たないこともある。いわゆる失敗の証明は難しい(悪魔の証明)。「妄想狂ザナトリウム」という作品はとても面白かった。その内容についても言及するのでいやな人はここからさきは読まなくてもいいと思う。
妄想狂ザナトリウムの前提
このゲームでは概要としては妄想や幻覚症状を引き起こす”スピリア”という病にかかった主人公の玄崎類が妹のモネに神奈川サナトリウム病院に連れられて・・・という話である。
ここからネタバレを含めて話すが、まず主要な3人について述べる。まず妹のモネは、主人公の自殺を食い止めるために兄を洗脳してパンデミックの被害が拡大してないように見せかけた。しかし、内面としてはけなげで成績もよく優秀(岡田斗司夫さんの4タイプだと、司令に近い)。次に主人公のルイだが剣道を続けていたのが半分は惰性だったりと全力を出すわけではないが基本まじめであり、スピリザの原因やリザ(口述)についても好きだからこそ知りたいという欲求があった(法則)。リザはルイの幼馴染であり初恋の相手(一応、両想い)。スピリチュアルが好きで、重要なのは何が真実かよりも自分が何を信じたいかによる(理想)。
物語の核心と考察
この話では所々で伏線やメッセージが込められている。自分で気づいたわけではないことをあらかじめ述べておく。スピリアの症状による幻影として「ゲル二」という存在がいる。そしてこいつは並べ替えると「逃げる」のアナグラムになっていることがわかる。また、ゲルニは「ゲルニカ」、リザは「モナリザ」、モネは「クロード・モネ」のように芸術から名前がとられているように思う。もちろん、こじつけのように思うかもしれないが「ゲルニカ」や「モナリザ」は絵画であり、現実ではない。それは、ゲルニやリザが妄想であることを暗喩していたのだと思う(妄想を見てた時、リザはすでに死んでいた)。
そして、この物語にはメインとなる終わり方は3つある。
BEST END
これは、主人公がモネに対する違和感をもつがそれを無視という選択をしたときに見れるルートである。これは現実に対して「仮初の現実」でもいいから自分は受け入れたいのだと思った。世の中には知らないほうがいい現実も存在する。夢を見ていたいのなら、夢のままでいい。覚める必要はないのかも
TRUTH END
これはモネに対して違和感を持つがこの世界が真実ではないのかもと疑問をもち、本当ではないと思っているがそれでも「虚構」かもしれないこの世界を信じる判断をする。一つ目と違うのは、”夢”だとわかりながら、”夢”を見る判断をしたことである。そもそも一つ目は、夢であることを本人は自覚できていない。
CREGY END
このエンドではモネに違和感を持ち、触れてみるが(妄想の時は触れても実体はなくて空に触れるだけ)、実態はあった。しかし、あくまでその判断基準は経験則であり、全部の妄想に当てはまるかはわからない。触れることが妄想でないことの証明にはならないのかも。また、モネ死んだ記憶が頭の中にわいてくる。モネは死んだのか死んでいないのかがわからないし、スピリザの特攻薬ができたということ自体が妄想なのかもしれない。リザは死んだのだと思ったのだけど、リザと会ったこと自体が妄想かも。また、自分はスピリザの末期患者で、妄想の世界にずっととらわれているのかもしれない。この世界がすべて虚構(フィクション)だったとしたら?
エンドの考察
3つのエンドを見てきて特にCREGY ENDは大きなメッセージがあるなと思った。いわゆる、”すべてがすべて妄想である可能性は捨てきれない”ということである。これは「胡蝶の夢」や「水槽の中の脳」などで言われている「この世界は存在しないのではないか」という哲学的な問題に関わっていると思う。
それはリザのセリフにも表れている。物事が真実であるかはどっちでもよくて関係なく、重要なのは自分が何を信じたくて選択するのかである。何かを信じていたり、信仰している状態は一種の妄想なのかもしれない
もう一つポイントは話しての目線である。主人公を中心に物語が展開されていくが、主人公は客観的な語り手ではない。小説みたいな客観的な描写はあまりなく、スピリアに感染しているので現実と妄想が区別はつかず、真偽は判定できない。しかも感情などの主観も入ってくる。そのため、「ドグラ・マグラ」のように不安定な状態でストーリーが進むのでスリルなどが主人公と同じ目線で見ることができる。
もちろん、作者もここまで考えて作っているかはわからない。しかし、そこは重要ではないのかもしれない。真実かどうかは誰もが自分自身で選択している。この世界はあくまで”可能性”に囲まれたものであり、世界は存在しない可能性もあるからだ・・・
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