近代思想とその発展
近代の思想・科学技術などは私たちに大きな影響を与えている。啓蒙思想は現代の政治に大きな影響を与え、人権や民主主義につながる。また、アダム・スミスやマルクス、ケインズなどの経済の理論は多くの国で採用されている。科学技術は人類に大きな影響を与えたものの一つで大量生産を可能にし、貴族の特権であった音楽を聴くことや他国に旅行することがコンサートホールや映画などによって市民に開放されるようになった。そして、今現在もこうして私たちはスマホを毎日使い、電車や飛行機に乗り、エアコンをつけて、パソコンを使っている。つまり、近代の考え方や科学技術を基にして現代の社会システムができているといっても過言ではないくらいである。
現代思想の流れ
現代思想の成り行きはいかのように表される。
①実存主義→②構造主義→③ポストモダン・構造主義
実存主義とは
個人に注目して人生や生き方について考える思想だ。近代の哲学のように普遍的な真実を理解できても個人が幸せになるかわからない。だから、私たち一人の存在について深く考えて個人としての人生をどのように生きるのかについて考える。それが、実存主義だ。
構造主義とは
私たちは目に見えない「構造」によって支配されているという考え方だ。個々の要素や意味よりも、相互の関係性によって物事が形成されているという思想だ。詳しくはこちらを参考に

ポストモダンとは
近代啓蒙主義以降の文化・芸術・科学の流れを「モダン」として、その考え方に影響を受けて作られた思想がポストモダン ※モダン→ポストモダンと単なる延長線ではない、「ポストモダン」は社会的な潮流
ポスト構造主義
とは20世紀後半にフランスで発展した哲学・文化的に構造主義を批判や継承を通じて現代社会における権力形成や意味の形成に着目する思想
- 普遍主義的な人間理解
- 中心と周縁の関係
- 多様な人間の在り方
- 多元的な視点

構造主義にくらべてポスト構造主義は取り扱う範囲が広くなり、多様な視点で物事を考えるようになっているみたいだね。
このように現代思想は様々な流れを経て、ポストモダン・構造主義になっていった。
著名なポストモダン・構造主義の哲学者
有名なポストモダン・構造主義の哲学者として、この記事ではミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ジャン・フランク・リオタールについて触れる。また、それぞれの人物は人間の主体性や真理性は確立されることはなく、意味はいつも権力関係に支配され、文化や言語は多元的で移ろいやすいと考えた。
ジャン・フランク・リオタール
リオタール(1979:フランス)は近代社会特有の世界観や人間観で社会や文化的コンテクスト(文脈)を維持する物語を「大きな(メタ)物語」とした。そしてこの物語はある種の理念を達成することを目標にしている。ex)民主主義、資本主義、科学主義etc
またこれは3つの特徴を持つ。
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人間は理性によって社会をより良い方向に導く
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近代理念が他の理念に比べて絶対的優位を持つ
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どの物語も現状からの救済を目標(指している目標は違う)
このように大きな物語が近代の思想や考え方を支えていた。しかし、大きな物語が自明性や信頼性を失った状態。それがポストモダンである。例えば、民主主義はトランプ大統領の当選やイギリスのEU離脱(ブレグジット)などポピュリズムが問題となっている。資本主義は資本家と労働者階級の更なる格差の広がりや、資本家は子どもも資本家、労働者は子どもも労働者など階級の固定化が議論されている。そして科学主義は核爆弾の問題や環境汚染、地球温暖化など行き過ぎた科学は人類を滅ぼす可能性がある。このように、現代では大きな物語は無条件に信じられるものではなくなっている。
それと対になるのが「小さな物語」である。「小さな物語」は「大きな物語」では語られなかったものと定義できる。範囲が大きく広がったため、特定することは難しくなっている。
まとめると次のように言える
ジャック・デリダ
デリダ(1903~2004:フランスの哲学者)はポスト構造主義において「脱構築」を掲げた。概念や思想の中にある前題や固定観念を解体して新しい考え方や解釈を生み出そうとする考え方だ。つまり、言語や文化などの現象をその内部の構造に注目して解析しようとする「内部的構造」を批判した。
そして、デリダは物事に原点や中心はなくて言語や文化ではこれらの概念が持つ異質な要素を強調して相互作用していると考えた。構造主義ではレヴィー=ストロースが言語学や音韻論の構造によって法則を導き出そうとしていたが、それと真っ向から対立する。物事は異なる点同士の関係よって成り立つと考えているので、個性やアイデンティティもその対象に中心があるのではなく、あくまで他人との差異によって影響しあっていると考えるている。
3ミシェル・フーコー
フーコーは「社会の脱構築」を掲げていた。脱構築とは社会の在り方や社会的な権力の仕組みを批判的に考察することである。
フーコーは社会が権力によって支配されていると考え、その支配構造を分析、社会の根本的な問題を明らかにしようとした。そして、彼はこの世界は言語や知識によって支配されていると考えた。たしかに、言葉狩りや検閲のように言葉や知識(考え方)を縛ることで国民などの人々の行動をある程度制限することができる。知らなかったら、人々は行動することすらできないから。
さらにフーコーは「知識は力であり、権力は知識である」と述べ、権力と知識の相互作用を明らかにして知識の新たな可能性を開拓することを提唱した。
フーコーの「社会の脱構築」は社会に対して新たな視点を提供する。それが、社会変革や社会的開放を求める人々に多大な影響を与えた。支配構造を批判し、社会的な支配や制度によって抑圧されている人々の声を代弁したことはフーコーの著作「狂気の歴史」からもわかることだと思う。
まとめ
このように、現代思想は
①実存主義→②構造主義→③ポストモダン・構造主義
と流れている。個人の生き方に着目した実存主義、目に見えない「構造」によって支配されていると考えて構造主義、科学主義のように近代的な考えに基づき賛同したり批判したポストモダンや構築主義の流れを受け、賛同したり批判したのがポスト構造主義となっている。
そしてポストモダン・構造主義の哲学者のミシェル・フーコー、ジャック・デリダ、ジャン・フランク・リオタールは様々な考えをしている。
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